13番目の編成部員。
2010/01/28
コンニチハ、ハマザキですよ。
本日は、昨日エントリーした生中継の、もうひとつの物語を。
settingで前日からひとりぼっちで現場入りしていた、ミクス中継車。
この中継車は1996年から、わたしたちと一緒です。たくさんの岡崎市民のみなさんの笑顔や頑張っている表情を、映像と音声で送り届けてきました。
生中継や中継録画となると、中継車の出番。むしろ中継車がないと生中継番組をお送りすることはできません。ミクスネットワークは多くの市民のかたに出演して頂くため、生中継番組や中継録画番組に力を入れている局です。毎月1~2本ペースを目指しておりますよ。だから中継車の出番もとても多いのです。
いつも頑張ってくれる、中継車。
ですが。実はこの日が中継車の最後のお仕事でした。
ミクス編成部にとってこの中継車は、13番目の編成部員でもありました。いつもわたしたちと一緒に、中継番組を頑張ってくれました。
でも。中継車も年齢を重ねていました。様々なところに疾患が見つかり、その度に治療を施し、その繰り返しの中で、中継車は涙ぐましい頑張りを見せてくれていたのです。
ミクス編成部員の誰もが、必ず一度は根をあげる二ヶ月間に渡る野球中継も、
暑い真夏の気温の中、回しっぱなしフル稼働で働く中継車が、きっと一番しんどかったと思います。
わたしたちは、中継車のことが大すきでした。中継車のことが知りたくて、みんないろんな勉強をしました。
朝早い中継の待ち時間には、わたしたちを休憩させてくれたり、
鳥におうちを作らせてあげたりして、
中継車はとっても優しい子でした。
たまにはちょっと機嫌が悪くなったりして、女子っぽいところもあったけれど、
しかも本番直前に機嫌を損ねてしまうことも、多々あったけれど、
それは中継車がわたしたちを成長させてくれるためのものだったのかもしれません。
いつも最終的には、
わたしたちのために頑張ってくれた中継車。
ミクス編成部の怒涛の思い出の中には、必ず中継車がいて、
気がつけばミクス編成部員と、いつも一緒でした。
生中継や収録の日、いつも一番頑張ってくれていたのは中継車です。
わたしたちは中継車のことが本当に大すきでした。編成部の素晴らしい仲間でした。
この中継車は三代目の中継車としてミクスネットワークにやってきました。今から13年前のお話です。
中継車内のシステムや機器関連、デザインに至るまで構想と設計を全て手掛けたのは、森崎部長です。
当時。森崎部長はそれこそ連日連夜、中継車のシステムを監修していました。業者さんとの打ち合わせも何百回と重ねて、A型気質全開で事細かに取り組んでいました。過労で倒れるんじゃないかと編成部員がハラハラする場面も多かったのです。中継車の監修は二年間に渡りました。
だから。この中継車への思い入れは、森崎部長が人一倍大きいのです。
中継車の最後の仕事日のこの日、森崎部長はなんだかすこし寂しそうに見えました。般若の目にも涙ってやつです。
今までありがとう、中継車。
わたしたちは、あなたが大すきです。
最後の仕事です。みんなで頑張って、良い一日にしようね。
たくさんの思い出がつまった、中継車。
見馴れたこの車内のあちらこちらも、
もう、お別れです。
生中継が無事終了し、撤収が終わると、
中継車のエンジンを落とすのですが。この日だけは、なんだかとても、
言葉では言い表せないような気持ちになりました。
エンジン音が止まって最後のバッテリーを落とした時、切なくなったのはわたしだけではなかったはずです。
ませさんが、最後の運転をして会社に帰ります。
たくさんの思い出と番組を作ってくれた中継車に、感謝と労いの気持ちでいっぱいです。
ありがとう、中継車。 キミは間違いなく、わたしたちの大切な仲間でした。
13年間、本当にお疲れ様でございました。
ではまた。
カンベンしてください。
ヒナを巣に戻すぜ大作戦。
般若部長現場に登場。
想定外、外、外。
真っ赤なドレスにふくよかボディ。
空気を読まず。
展望台から一望。
休日の数時間。
梅雨の晴れ間を狙え。
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